第64回大人のおけいこクラブ「お花見パラダイス」~2023年4/15開催

4/15(土)のびあ会員有志とのお花見会を開催しました。

 

今回は下記のよう3つのコースに分けて、
「好きなとこに参加してー、もちろんオール参加も大歓迎」というスタイルにしてみました。

体調不良などで3名程、キャンセルがあり、少人数にはなりましたけど、
ニューフェイスの参加あり、
また、1部、2部、3部で、人が入れ替わるというのが
それはまた新鮮!

 

1. 1部「北ホテルでランチ会」

こちらは結局、私含めて3名の参加。

そっか、いつものおけいこクラブだと

「おけいこやセミナーが先で食べるのが後」だけど

「初対面で、いきなりご飯食べましょ」は

結構、ハードル高いことなんだなあ、、、を実感。

 

それでも、
「何、食べる~?」とメニューを一緒にのぞきこみ、
なんとなーく、自己紹介し、
気付けばケラケラ、笑っているという。

私以外のお2人が頼んだのが「限定5食」のアナゴ天丼

 

デカイ。デカイです。

 

北ホテルさんは、食事するとウインナーコーヒーが飲み放題なんです。
そして、こちら窯の雰囲気と
「静かすぎずに、適度な喧噪があり、でも話は十分に聞こえる」
これが落ち着いていいのよ~!

 

のびあの会員証も出し、
3人とも会計から5%オフになりました~!

 

 

2. 2部「盛岡城跡公園で散策」

北ホテルでお1人お帰りになり、2名が新たに参戦し、
4名で巡ります。
心配していたお天気も、まあ、ぽつりぽつりぐらいでなんとかもっています。

お花見の前に、なんと猿回しがいました!!

 

▼この先に猿回しがいます

 

そして
公園の石垣は現在修復中とのことで猿の隣は(旧バラ園だったとこですねー)

まるでストーンサークル!!

 

 

間近で石だけ見ると、すごい大きさよ~!!

さっきのアナゴ天丼といい、二度目の「デカイ」を連発。

 

史上最速で咲いた花はすでに葉桜でしたけど、花吹雪の中の散策もいいものです。

ここで私は、ハタと思い出した。
そういえば、2020年に「ふるさとガイドと歩く岩手公園」をやった時に
このへんで💛に見える石垣があると教えてもらったことを!!

 

、、、というわけで、
みんなで、「💛の石垣探し」が始まった!!

「みんな、はーとに見えてきたわ」
「あれか、どれ?」

と探すこと、小一時間(嘘です。たぶん10分)

 

ついに発見!!

 

ちなみにここは、桜山馬跡の目の前の石垣です。

ミッションを達成した私たちは安堵の笑みを浮かべ
「しだれ桜は上から見ればいいよねー」
とショートカットを決め、第3部の会場へと急ぎます。

ここでお一人、お帰りになりました。

 

3. 3部「樹里杏で宴会」

樹里杏に着くなり、迎えてくれたのは
百合子ママと、「樹里杏から参加でーす」というMさんの熱唱!!

♪きてよー、その火を飛び越えて
砂にかいたアイミスユー ♪

私たちも ♪ アイミスユー!!♪とコールしながら店内へ。
ひょっとしたら、先についてひとりカラオケしてるかな?とは思ったけど

Mさん、さすが、期待を裏切らない女だわ。

 

▼ママが「新しく買ったのよ~」という紅白のマイク

 

「お花見にちなんで、桜がいいよねぇ」

と今宵(じゃなかった、真昼間です。)は桜の歌を検索

びっくりしたけど70曲以上、あるのよお

そうこうしてるうちに、もう1人、合流し

樹里杏では私いれて6名となりました。

この日、議題?になったのは

「花の命は短くてぇ、で、女の旬はいつまでか?」
「いつまでも女性フェロモンを醸し出す女ってどうよ?」
という話で花が咲き、

 

繰り返すけど、夜ではなく、

15時ぐらいです。

 

「あ、桜の歌だったねー」と思い出したように曲をいれ、

森山直太朗のさくら→福山雅治の桜坂→aikoの桜の時→坂本冬美の夜桜お七→松田聖子のチェリーブラッサム

を熱唱。

18時にお開きとなりました。

 

このお花見パラダイス3部構成、なかなか私は楽しかったので
来年も4月の定番としたいと思います。
開花予測が難しいけどねー。

ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

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大雪のなか「中森明夫氏TRY48出版記念講演会」~2022年2/10開催

2/10(金)中森明夫氏の新刊「TRY48」の出版記念講演会を開催しました!

 

この日、関東圏には大雪警報が発令。
とにかくご本人が来てくださらないことには始まらないと

早い盛岡入りをお願いしました。

 

中森さんのお顔見た時、ホントに安堵しましたよ~!

雪は、

♪低気圧にのって北へ向かうわ~♪の予報通り、
盛岡でも15時過ぎから降りだし、
18:30の開場時刻にはすでに15センチぐらい積もっていたのではないかと思います。

 

そんな中、息を切らせ次々と会場へ来てくださる方々、
私、受付しながらありがたくて涙でそうでした。

 

10名ぐらいの欠席は覚悟してましたが、なんと欠席は4名。
実に38名の方々にお集まりいただきました!

会場の岩手県公会堂前です。

 

こちらは開始前、40冊にサインする中森さん

寺山修司のサインを代筆するために猛練習されたそうです。
(お渡しした本には、中森さん代筆の寺山バージョンとそうでないのとがあります)

 

さて、定刻通り、始まった講演は

冒頭、NYタイムスの「2023年行くべき都市」の第2位に盛岡が選ばれたことに触れ、

「なんでロンドンの次なんだ?1位じゃないんだ?」

おお、そうきたか

 

 

話しは多岐にわたりました。
TRY48の執筆のきっかけ、
寺山修司元夫人の九条今日子さん、お弟子さんの高取英さんに
「生きていたらアイドルグループを作ったんじゃないか?」という仮定で
小説を書くことを許可いただきながら膨大な資料を前に書けなかったこと。
そのうち、九条さん、高取さんも亡くなってしまい、

「重い宿題が残ったままだった」ということ。

書くことを決意させたのが2020年からの緊急事態宣言だったこと。

 

※詳細は中森さんのnoteをご覧ください
寺山修司(85歳)、アイドルグループをプロデュースする! その名も…「TRY48」|中森明夫|note

※私のブログには講演会までの経緯を書いてます
コロナ禍が書かせた新刊「TRY48」中森明夫復活祭は2/10の盛岡からスタート! | 『5時からアイドル』まきりん社長ブログ (ameblo.jp)

 

 

なかでも、面白いと思ったのが次のくだり。

「映画、演劇、短歌、俳句、作詞、詩、エッセイ、競馬評論

とありとあらゆることを手掛けた寺山修司の作品がもっとも少ないのが小説。
小説というのは実はもっとも自由度が高いもの。
なのに寺山が小説が得意ではなかった」

 

ここで盟友、宮台真司氏の寺山論を引用し
「不自由が自由の前提になっている」

何らかの足かせや不自由があった方が創作できたのではないか?ということ。

 

それは、あまちゃんでデビューし、その後の事務所問題という逆境がありながら、
女優、歌、絵、映画監督と多才に活躍するのんさんとも共通するのではないか?

と語っていました。

本当に中森さんという方は
アイドルと結べつけた語るのが上手い。

 

「寺山修司という人は嘘と本当を混ぜた人、TRY48も

どこまでが本当でどこまでが創作なのか、そこを楽しんでください」

 

会場には寺山修司の劇団、天井桟敷の劇団員だったという男性が参加。
(私も全く知らず、当日、取材に来てた盛岡タイムスの記者さんが教えてくれました)

ご紹介すると一同、どよめく。

 

そして

もう一人、一同をどとめかせたのは

隣のビルで働くイッパンダンセイ

 

私ともパチリ

講演会終了後、「写真OK」の方々で記念撮影です!

こちらはTRY48の「T」の字バージョン

 

講演会終了後は希望者のみ懇親会を桜山で開催。
こちらは19名が参加。

 

みなさん口々に
「いやー、この人数の宴会って久しぶり!!」

 

モツモツと雪降る中、7名はさらに2次会へ。
この中には、数々のミュージックビデオを撮影する高橋栄樹監督も。
なんと盛岡出身だそうで、帰省にあわせて講演会から参加していただきました。

 

 

そして、この日、山梨から参加された男性がお誕生日と知った県庁職員のYさん。
雪のなか、コンビニへ走り、デザートを購入。店側に頼んで粋な演出をサプライズ!!
中森さんはこれを「岩手のおもてなしの凄みを感じた」と絶賛してくださいましたが

いやいや、これはYさん個人がスゴイのです。

普通の岩手県人は店のメニューになければあきらめますって。

 

ともあれ、Yさんのおかげでお誕生日の山梨県人、この笑顔。
「盛岡の印象、爆上がり。来てよかった」

ちなみに講演会の時の記念写真もYさんのおかげなのです!
Yさんに深謝!!

宴は午前2時まで続きました。

 

中森さん、

はじめて盛岡へ来た2013年の「あまちゃんNIGHT」では台風、
それからおそらく6回目となる今回は大雪と。

「でもいい思い出だよ、これも。大感動だよ」

主催者の私も大感動です。

 

大雪という逆境や足かせの中、講演会を開催できました。

無事に到着した中森さん、
息を切らせながら会場へ来てくださった皆様、
本当に、ありがとうございました!!

 

中森さんは翌日のお昼過ぎに
快晴の盛岡を堪能されたあと、帰られました。

大雪だけでなく、晴れた冬の盛岡も見ていただけてよかったです。

 

寺山修司(代筆中森明夫)からのありがたきメッセージ

 

 

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第63回大人のおけいこクラブ「スナックへいこうブラボー」~2022年12/17開催

12/17(土)年末の恒例企画「スナックへいこう」を開催しました。

 

これ、土曜日の午後にスナックを貸切って開催する

のびあの会員さんの忘年会兼クリスマス会兼ダンス大会兼カラオケ大会なのです。

2016年の12/17(土)に第1回を開催し
2017年、2018年、2019年と実施。

2020年はオンライン開催し、
2021年に復活。
そして2022年は新年にも開催。

 

とはいえ、コロナの人数が日々、増加傾向にある現在、
参加する、しないは
個々の会員さんのご判断にお任せし、、
スナックを貸切るので「5人以上で開催」としております。

(コロナ前は20人近く参加していただいてましたけど、そこはしょうがないねー。)

 

今回は、8名に参加していただきました。
(直前と当日になってコロナ関連で2人キャンセルとなってしまいました。)

会場は、樹里杏でーす。

カウンターとボックスに分かれ、
カラオケ席は別途、用意。
壁に向かって熱唱する姿は
ま、ちょっとコロナ前とは違いますけど、いくつか制約あるのは仕方なしです。

会場内は空気清浄機もありますけど

1階にある利点で

30分に一度、ドアを開放。

ほんとに換気してます。

お酒やおつまみは各自、持ち込んでいただき~。
ちなみにこれは私、高橋が持参したお酒です。

日本酒は2本とも空きましたよ~。

お酒のそろった写真、撮ればよかったよー。
焼酎、缶ビール、あと何があったか忘れてしまいました。

オードブルとピザは盛岡市菜園のジャルディーノさんから

テイクアウト。

これまた食べる前に写真を撮ればよかった。

 

オードブル、豪華でした!

なのにすでに半分食べた写真しかなかった。

ソーセージは自家製なのよー。

写真ないけどいわしのオイル漬けがものすごく美味しい。

ピザ2種類の4枚、オードブルも2枚!

 

この他にみなさんが持ち込んでくれたお菓子、みかん、菓子パン、
干し柿、台湾のおつまみ、などなど
ものすごい量でしたよ。

これまた写真撮ればよかった!

初参戦のMさん、
「ビールと焼酎もってバス乗ったのはじめてー!!」
って、そりゃ、そうだよね。

 

令和の曲など、誰も歌いもせず(たぶん)

ひたすら自分の得意な曲、好きな曲を熱唱。

ミュージカルスターK様のMISIAのeverythingには泣く人もあり、
「な、なにかこの曲に思い出があるのね、、、よしよし」

 

最後はテーマ曲の本日2回目の「女々しくて」でしめ。

 

樹里杏の宴は

17:45で終了し、そのまま行ける方はFirstに場所を移し、

Firstさんも本当は20時開店なのに18時に開けていただき、20時まで2次会。

 

こちらは2次会からの参戦組もいて、出たり入ったりで7名でしょうか?

 

私はちょっとだけ遅れて2次会へ参加しましたけど

 

「このスナックへいこうが終わらないと年は越せない」

「ここでみんなの顔見れるのが楽しいんだ」

「企画してくれたまきさん、ありがとう、ご苦労様」

と私が着く前に言っていたと翌日、聞いて、うれし涙。

 

みんなー。

そういう誉め言葉は、直接、私にも聞こえるように言ってくれぇー!

褒められて伸びる子、たかはしまき。

 

ご参加いただいた皆様、

時間外に快く、貸し切りしてくれた

樹里杏の百合子ママ、First のヒロコママ、ありがとうございました。

ああ、そうだ、

わたし、「淋しい熱帯魚」を歌うの忘れてたよお。

 

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就活セミナー「議員というおシゴト」~2022年11/24開催

11/24(木)ちょっと珍しい就活セミナーを開催しました。
こちら、主催者は

こどものこと。研究所 座・いどばた代表の佐藤澄子さん

 

佐藤さんから
「20代30代の議員を増やしていきたい」というお話があったのはいつだったっけ?

調べてみると地方議員(県議・市議・町議・村議)のなかの20代30代の議員の割合というのは5%もないらしい。

 

「では企業がやっているようにまずは

シゴトの中身について理解していただくための就活セミナーをやりましょー」

と言った時、季節はまだ秋のはじまりだった気がします。

当日は会場に26名、オンラインで11名、合計37名の方にご参加いただきました。

(うち10代~30代は17名の方がいらっしゃいました)

 

会場には

10代から60代まで幅広い年代の方にお越しいただき、
中には学ラン姿の高校生も2名。

そして

ゲスト議員は

盛岡市議 加藤麻衣さん(28才現在1期め)
https://katomai.space/self-introduction/

岩手県議 米内絋正さん(35才現在1期め)

https://yonai.info/profile/

のお2人です!

まず、あらかじめ、こちらで用意した7つの質問に答えていただきました。

ちなみに進行しているのは岩手県立大学の現役の学生さんです。

 

1. 議員になるまでの経歴

2. ある月のスケジュール
3. 報酬と休日

4. 立候補のきっかけと仲間作り
5. 選挙にかかったお金
6. 議員の仕事のやりがい、しんどいこと
7. 議員でなければできない仕事とは?

 

以下、少しづつエピソードをご紹介

まず、加藤さんが議員になるきっかけは
学生時代に参加したLGBTの会議だったといいます。
その後、サークルをたちあげ、啓蒙活動や居場所作りをするものの、一方で

市民活動の限界も見えていたところに市議会を傍聴する機会が。
その時、当事者が議会にいないことに気がつきます。
それを職場で話したところ、「やってみたら?」といわれ、

約1か月半で選挙の準備をしたそうです。
この時、被選挙権ギリの25才。

 

米内さんは

曾祖父が総理大臣の米内光政氏。

時代が戦争に向かうなかで反戦主義を貫いた「ひいおじいちゃん」に感銘を受け、
中学生の時に政治家になりたいとは思ったものの

本格的に目指したのは2011年の東日本大震災後だったといいます。

5年間の会社員生活を経て、議員になるための準備を!
と思ったものの、どうやって議員になるかもわからない。

このあとの行動が面白いんですけど

米内さん、なんとマイナビで「議員秘書」を検索。

2年半の議員秘書生活を経て、単身盛岡へ来たのが2018年だそうです。

これには一同、「ええー!マイナビで検索!!」とびっくり。

 

気になる報酬について
加藤さんは月額617000円(手取りは351900円)賞与などを含めた年収は9810300円
米内さんは月額770000円 賞与などを含めた年収は約1300万

しかし

「年収というより、年商に近いです。
たとえばコロナ前の12月1月をみると、さまざまな会合に参加し、その参加費は2か月で約100万です。

また政務活動費といってたとえば事務所をもつ経費も認められているものはありますが
それもでるのは半分。
なのでいただく金額も多いけれども出ていく金額も多いのが実情です」
と米内議員から説明がありました。

 

休日については2人とも

「基本、休みはないし、プライベートと仕事という明確な境界線がない」と回答。

 

そして

4年に1回、選挙が行われるため

「4年に1回失職する可能性がある仕事です!」

その選挙にもお金がかるわけですが
「いくらお金がかかるのものなの?」にも答えていただきました。

 

加藤さんいわく

「供託金という立候補に際し、必要な30万(県議は60万)

含め150万ぐらいかかった。しかし一定数の投票を得れば公費で認められ、戻ってくるお金もあり、それで助かった記憶です」

米内さんは

「国政か地方かの規模によっても違いますし、掛け方もあるとは思います。
とはいえ、かかるものはかかりますね」

 

ここまで聞くと

企業でいえば完全にブラック企業やないかーい!

とツッコミが聞こえてきそう。

 

しかも4年に1度、失職する可能性もあるという不安定さ。
さらには

「全く知らない人に辛辣な言葉を言われることもある」という立場。

であるのにに「議員という仕事を選ぶやりがいは?」

「社会に変化をもたらすことができる」

「ある地方で成功したことを他の地域にも波及させることができる」

「社会を前に進めることができる」

といいます。

ここまでの回答ですでに熱を帯び、

会場、オンラインで質疑応答の時間はなんと残り、15分!

以下、その15分の様子を。

 

「素人が立候補するのには壁が高い」という意見には

「その通りだと思います。

選挙費用ももっと安く、お金のかからないものにしなければいけないと思うし、
さらには仕事をもちながら立候補できる環境を作っていかなければならないと思う」

 

「議員になるのに必要なことは?」という質問には
「社会に対する信頼」

「選挙で自分の名前を書いていただいたその責任、覚悟」で

お2人とも「まずは行動してみることが大事」

 

さらには

「議員ではなく、リーダーシップを発揮できる首長になる気はないのか?」
の叱咤激励?もいただきました。

事前に質問をたくさんいただきがら時間切れ。

いただいた質問には昨日、12/20に文書でまとめ、参加者の方々のへ
メールで送りました。

 

開催後のアンケートには

16名の方から回答をいただきましたが

「将来、地方議員をやってみたいというお気持ちはありますか?」という質問には

3年以内に検討してみたい が3人
5年以内が1人
10年以内が4人
さらには自分は立候補はしないけど応援したいが5人

いらっしゃいました。

 
若い議員を増やすための提言もいろいろいただきました。

・インフルエンサーと議員の対談を動画で流す
・小中高、大学生とこのような機会を増やす

・選挙の壁を低くする(資金や兼業)

などなど。

 

また、これはセミナーの最中にもでたことですけれども

「若者の投票率が低いのはこれは今に始まったことではなく、昔から。
社会人になったり、家庭をもったり、社会の課題と自分がぶつかるなかで

はじめて関心をもつようになる」

ならば、たとえば「奨学金について」など

若い方に身近なテーマで話しするのもありなのかなあと

アンケート回答を見ながら個人的には思ったりしてました。

 

来年は統一地方選挙

知事選、県議選、市町村議選と続きます。

今回の就活セミナーの熱波を伝播していければ!と思います。

ゲスト議員のお2人、
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

 

 

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11年目の福島原発20キロ圏内視察ツアー④木村紀夫さん講演~2022年11/5~6実施

浪江町で昼食後、向かったのは震災遺構となっている請戸小学校跡です。

 

5年前には津波で被災した家がまだ数軒放置され、
場所によってはガレキも高く積まれたままだった請戸地区。
その時、遠くにポツンと見えた請戸小学校は

2021年10月に福島県で初の震災遺構として一般公開されました。

 

震災時、93名の児童と教職員は1.5キロ離れた大平山へ避難し、
全員が無事に助かることが出来ました。

それが時系列でわかるように展示されています。

 

よく見ると7キロ先の福島第一原発がうっすらと見えます。

 

請戸地区はその後、災害危険区域に指定されたため、現在も請戸橋より西側には

家を建てることはできません。

93名が避難したという大平山を車窓に見ながら、
ツアー最後のスケジュール

大熊未来塾の代表 木村紀夫さんの講演会場へと向かいます。

 

なんとご講演いただく木村さんの方が先について準備完了

という大失態をしつつも
笑顔で迎えてくださる木村さん。

 

先日、ZOOMで打ち合わせはしましたが、実際にお会いするのは
実は私も初めてです。

 

木村さんのご自宅は前日見てきた中間貯蔵施設内にあります。
あの日、津波でお父様、奥様、そして小学校1年生だった次女、汐凪ちゃんを失います。
翌日、跡形もなくなった自宅付近を捜索していると区長さんが来て「全町避難せよ」と。

その後、奥様とお父さんの遺体は見つかるのですが、汐凪ちゃんの遺体は見つかりません。

当初は年に3回、1回につき2時間程度の時間内にしか立ち入りが許されず、

たったひとりで捜索していた木村さん。

2013年頃からボランティアの方々に入ってもらって一緒に捜索をするものの
以前として遺骨は見つかりません。

その後も避難先の長野県白馬村から9時間かけて大熊へ通い、捜索します。

 

2016年、環境省に依頼し、重機をいれての捜索したところ、汐凪ちゃんのマフラーと
首の骨が見つかります。

 

しかし、骨が見つかったことで

「津波で亡くなったのではなく、

ここに置き去りにしたことで亡くなったのではないか」

という新たな苦悩を抱えることになるのです。

 

実はオンラインの打ち合わせの時に私は
「講演を依頼しておいて聞くのもなんですが、

こうして話すことが辛くなることはありませんか?」とお聞きしています。

木村さんは

「正直、苦しくなることはあります。でも話すことで汐凪が一緒に生きていると感じる」と。

 

その後、木村さんは2019年に長野からいわき市へ住まいをうつし、

大熊未来塾を作り、語り部としての伝承活動をスタートさせます。

 

ひとつは防災教育、

そしてもうひとつは、中間貯蔵施設内にある汐凪ちゃんが通っていた

小学校や児童館などをアーカイブ施設として残せないかということ。
「俺がこうして話すより、あの場所を、教室を見てもらったほうが
よほど伝わるものがあるんじゃないかと思うんですよね」

 

そして

「自分たちの悲劇をただの悲劇として終わらせない。

1000年先まで語り継ぐ」

 

そのために大熊未来塾を今年、法人化されています。

 

最後に木村さんが話したのは

「進む復興に消えていく声」

 

2日間のツアーで見てきた景色はまさにこのひとことに集約されるような気がしました。

 

5年前に
「津波で流され、何もなくなったのではなく、
建物があるのに人がいない」

その風景に衝撃を受けた私。

 

その後、除染された土壌は中間貯蔵施設に運ばれ、
もとの街並みはどんどんと解体され、

特定復興再生拠点として生まれ変わっていきます。

県外に住み、震災前の街を知らない私でも

それは希望なのだとわかっているにも関わらず、

なんだか複雑な思いに駆られます。

 

この複雑な気持ちこそ、福島原発20キロ圏内の景色なのかもしれません。

 

ツアーにご参加いただいた皆様、
福島で迎えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
現地ガイドさんはこの日に向けて約ひと月も準備してくださいましたし、
流行り病にかからないよう、健康管理していただきました。
言葉では言い表せないほどの感謝です。

「時が止まった街」と形容されてきたこの地ですが

旧街の解体を含め、街は急速に動いていました。

 

▼講演のあとに記念写真を撮りました!

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