チャリティイベント「5月3日は盛岡大通へ行こう」と
浜松市のクラフトイベント「tetoteへ行こう」の寄付金を昨日、お渡ししてきました!
※浜松市の同イベント実行委員会からは2015年以来、毎年、寄付金をいただいております。
今年は14万円の寄付金を頂戴いたしました。
今回は野田村へ。
県北ではもっとも被害の大きかった市町村で
震災当時の人口約4700人(現在は4218人)のうち、
死者38人、
全半壊した家屋450戸
寄付金は
野田村立野田中学校へ9万
野田村立野田小学校へ9万
野田村スポーツ少年団(6団体)へ9万
(福)野田村保育会(3園)へ9万
合計 36万円です
まずは野田村立野田中学校へ
この日は村内の教職員の研修会があり、
小学校の校長先生とスポ小担当の職員さんにも来ていただきました。
2017年までは写真右側の校庭に仮設住宅があったそうです。
現在の中学3年生は震災当時、小学校1年生でした。
野田小学校の吉田校長先生は
「被災地で伝えることの難しさを感じている」
というお話をしてくださいました。
▼野田小学校へ贈呈
「震災を知らない小学生がいる一方で
悲しい、怖い体験をした小学生もいるわけです。
たとえば小学校5年生は震災当時は3歳。
悲惨な光景を見た、触った、をしっかり覚えている。
その子どもたちに、悲しい記憶を呼び起こすようなことをしていいものか
という葛藤があります。」
「被災地だからこそ、むしろ普通にという気持ちがあります」
贈呈式?が終わったあと
野田中学校の南校長先生にホールを案内していただきました。
▼野田中学校へ贈呈
▼野田村スポーツ少年団へ贈呈
阪神淡路大震災で被害のあった兵庫県西宮市の山口中学校や
岩手県矢巾中学校との交流事業の様子、
さらに中学生が作ったハザードマップ等たくさんの掲示物を見ながら
お話を聞きました。
「現在、週1回、カウンセラーに来ていただいています。」
「震災時からずっと何かしらを我慢して、頑張ってきた気持ちが
中学生という思春期に一気に表に出ることがあるんです。
それは悪いことではなく、むしろ良いことなんだそうです」
このカウンセリングは生徒だけでなく、保護者も受けれるようにしているそうです。
「今年から3.11にやっていた追悼行事を野田村ではやめました。
今は瓦礫もないし、建物も新築された。
でも生活再建や心の再建はまだまだこれからなんですよね」
「しかし、こうやって全国から支援をいただき、交流が出来ている。
決して悪いことばかりではない。
本当にありがたいですよね」
続いて
野田村保育所へ
(福)野田村保育会の本部を兼ね、地域子育て支援センターも併設しています。
震災時
野田村保育所は建物が流失し
園児90人と
職員14人全員が無事避難したことが「奇跡の脱出劇」として
報道されました。
遠藤園長先生と
当時、この園に勤務していた保育士さんが話をしてくれました。
「2005年(平成17年)に岩手県のハザードマップが改正され
海から500Mの野田保育所は浸水地域に指定されました。
そこで、当時の園長が、保育所から500メートル離れた高台の土地を借り、
そこを第1避難所に
さらに奥にある教員住宅を第2避難所にして
第1避難所から第2避難所へ行く近道の畑の持ち主に
『もしも災害が起きた時は
園児が通ります』という許可をもらいました。」
そして、驚くことに
以来、「月1回避難訓練をしていた」そうです。
「避難訓練といっても
子どもですので
そこは「速足散歩」と名前をつけてね」
実は2011年3/11も15:00~「速足散歩」の日だったそうです。
「お昼寝から起きたあたりに、尋常でない揺れを感じ、
これはすぐに津波が来るということで、
0歳児はおんぶで保育士の背中にくくって
1歳児は大型の乳母車にのせて
高台の第1避難所へ避難しました。
でもそこも危ないと感じ、もっと奥の第2避難所まで歩きました。
結局、野田中学校に避難し、最後の保護者のお迎えが20:00に来てくれて職員も帰りました」
当時、子どもたちと避難した職員さんがお話してくれました。
「ああいうときって子どもなりに何か感じるんでしょうね。
いつもは寝起きが悪くて、着替えに時間がかかる子どもも
さっと着替えて、
そして誰も泣かないで歩くんですよ」
教職員の車はもちろん、建物も流出し、
現在の保育所は
海から約2キロの地点に2012年に新築されたそうです。
もとの保育所のあったところを地図で教えてもらおうとすると
「たぶん、このあたりかと。
全部、広い公園になってしまって、昔の面影がないので
私たちでもはっきりわからないんですよ」
そして、園長先生が次のようにお話してくれました。
「奇跡の脱出劇といわれますけど、決して奇跡ではないと思っているんです。
震災が起きる5、6年も前から、毎月1回の避難訓練をしていた。
その積み重ねだと」
現在も「速足散歩」という月イチの避難訓練と
年2回の「引き渡し訓練」をしているそうです。
今回、保育所、小学校、中学校を訪問してみて
「被災地だからこそ3.11を伝えることの難しさ」を感じました。
そして2015年に陸前高田へ寄付にいった際
高田東中学校の校長先生がいった言葉を思い出しました。
それは
「いい意味の風化はしていいのですよ」という言葉です。
その意味とは
「ここにいる子は十分につらい思いをしている。
そういう子は風化させていい。
でも震災の実体験がない子どもたちが入学してきたら
防災教育とともに100年先まで伝えていかなくてはならない」
野田村保育所の園長先生が最後に
次のように話してくれました。
「私は、震災のことを園児には話さないできたんです。
でも昨年から話すようにしました。
それは、感謝する気持ちをもってもらいたいから。」
やはり、今回も現地に行ってみなければ
わからない数々のことがありました。
被災した地域へ足を運ぶたびに
「何をもって復興というのか」を
感じます。
それとともに
知らない世代へ伝えていくことの難しさを。
被災地だからこその葛藤がそこにはあります。
来年は、久慈市と洋野町へ寄付する予定です。
昨年までのチャリティイベントの支援活動はこちら
https://www.jyosi100.com/novia/activities/