おそらくはこの地域を巡るツアーというと
双葉町にある原子力災害伝承館と浪江町にある震災遺構、請戸小学校跡の見学が一般的なコースと思いますが
それでは浜通りの今と現実が伝わらないような気がしてました。
なので、私から現地ガイドさんにお願いしたのはこの3つ
・できるだけ現地の方の話を聞く機会が欲しい
・大熊町と双葉町については新旧の中心地が見たい
・帰還困難区域と特定復興再生拠点区域と両方見たい。
特定復興再生拠点区域とは
帰還困難区域のうち、優先的に除染して居住できるようになった(今後なるも含めて)地域をいいます。
今、富岡、大熊、双葉、浪江の4町は
・何の制限もない地域
・帰還困難区域 (人と自転車は通行不可だが車とバイクは可や許可書がなければ入れない区域とがある)
・特定復興再生拠点区域
と分かれ、地図を見ても複雑です。
私の3つの希望を叶えるべく、現地ガイドさんは悩みに悩まれ
ご自身いわく「性格を反映した(笑)」分刻みのスケジュールを作ってくださいました。
まずは
①富岡町のワインドメーヌ展望台へ
震災後の新しい産業として富岡町ではワイン作りが始まっています。
ここから見えるのは、福島第二原発です。
11年半前、第一と同様、ここもメルトダウンの危機がありましたが、
原子炉を冷却する4回線のうち1つの回線が生き残っているのがわかり、
800M離れた建屋に200人がケーブルを繋ぎ、危機を回避しました。
第二は2019年に廃炉が決まり、現在、その作業をすすめています。
②富岡駅前を通り、ふたばいんふぉへ到着。
こちらは双葉郡8町の情報をまとめて展示、案内する唯一の施設。
ここを立ち上げた平山勉さんから双葉郡の歴史と震災後についてお聞きします。
帰還困難区域が解除されバリケードが開けられた際の動画も見せていただきました。
展示物を見る時間がとれなかったのが残念。。これは次回リベンジ。
③続いて夜の森地区へ
ここは1500本の桜並木が並ぶ町民自慢の地。
前回2017年のツアーでは、道路1本はさんで片側が帰って住んでいい地域、
しかし、もう片側はバリケードと帰還困難区域の看板がありました。
ここに帰るということは、この光景を日常の景色として受け入れることかと悲しい気持ちになった地です。
それから5年後、ここも特定復興再生拠点区域となり、1/20からは準備宿泊がスタートしています。
春からは全て立入りOKとなるのです。
5年前のツアーの参加者からは
「(集合写真を撮った近くにあった)あのアパートは解体されたんだね~」
「バリケードがなくなったね~」等など。
みなさんにとっても変化を実感する風景だったようです。
夜の森公園の復旧工事が進んでいました。
富岡町の人口は震災前15849人。
現在は2001人の方が町内にお住まいです。
④大熊町の現在の中心地へ
大熊町ではいち早く2019年に避難解除された大川原地区へ。
町役場、公営住宅、商業施設、宿泊施設、入浴施設、公民館などがまるっと整備されました。
どの施設もかなり立派な建物です。
宿泊施設の部屋番号にはOKUMAのアルファベット
来年には0才から15才までが学ぶ町立学校「学び舎ゆめの森」の校舎が
開校するそうで、その工事が行われていました。
町内にあった大野小、熊町小(昨日見てきた中間貯蔵施設内にあった小学校です)
大野中を統合し、さらには保育園施設も入るそうです。
現時点では7名の子どもが入学予定だそうです。
※その後、11/11の地元紙の報道で25名の入学予定者と
町の教育委員会から発表があったそうです。
次に来る時にはこどもの姿が見れるのですね!
なお、大熊町に現在、374人の方が住んでいらっしゃるそうで、
単身赴任等で住民票が町外にある方と合わせると1000人の方が暮らしていると
伺いました。震災前には11515人が住んでいた町です。
⑤近代的な建物を見ながら、バスは大野駅方面へ。
この地図でいうと黄色で区画されている地域です。
写真はありませんが、双葉郡にはあちこちに巨大なソーラーパネルがあります。
〝原発から自然エネルギーの街へ〟
大野駅に向かって東進しています。
震災前150床あった県立大野病院の建物はそのまま残っています。(写真なし)
施設を再利用していくのか、移転するのかは今後、検討するようです。
そこから大野駅の東側へ。
解体が進んでいる駅の西側に比べると、朽ち果てた商店や寺が残っています。
ここがかつての中心地だったのですね。
そして下記の写真は大熊町立図書館・民族伝承館です。
特長的な建物は町のシンボル的な建物であり、思い出深き場所だったそう。
県外に住んでいる方が帰省したとき、ここを見て「帰ってきたんだ」と実感するような場所だったそうです。
保存を希望する署名が7800名も寄せられたにも関わらず
解体が決まりました。
こんなふうに、「次来たときはないんだろう」という建物が駅周辺にはあります。
⑥ここからバスは国道288号線を通り、双葉町へ
帰還困難区域を走ります。
帰還困難区域と特定復興再生拠点区域とはまるで景色が違います。
「ここを大型バスが走るというのは珍しい光景」と現地ガイドさん。
道路の左右は森なのか、、と思いながら車窓を眺めていると
家が、集落が木々の下に隠れているのに気がついて、ハッとします。
玄関のバリケードがなければそこに家があることに気づかない程の高さです。
なお帰還困難区域は除染されていないのですが
今後、帰宅を希望している方には自宅周辺を除染する方向だそうで
ちょうどこれを書いている11/10の朝日新聞によると
大熊町と双葉町の帰還意向調査であわせて226世帯が帰還希望と答えたそうです。
集落で帰還されるならよいのですが、
自分の自宅周辺だけが除染され、それがポツンポツンと散在するのは
果たしてどうなのか、、考えるところです。
2017年にあちこちにあった「これより帰還困難区域」の看板は大幅に減り、
代わりによく見たのがこの看板です。
本当に今まで走ってきた帰還困難区域とはガラリと景色が変わり、
整備しているのがわかります。
改めて景観というのは人の手が入ってこそ、
維持されるものなんだなあと感じます。
そんな特定復興再生拠点区域にある双葉高校で下車いたしました。
⑦双葉高校
来年、創立100年を迎える浜通りの名門校です。
双葉郡にはこの双葉高校をはじめ、バドミントンの桃田選手が通っていた富岡高校、
双葉翔陽高校、浪江高校、浪江津島分校と震災前に5つの高校がありましたが、
現在、休校という名の事実上の廃校となっています。
(双葉郡にある高校は現在、
広野町にあるふたば未来学園中学校、高等学校の1校のみとなっているそうです)
校舎の窓に貼られたある生徒さんのインターハイ出場を祝う掲示は2011年3月のものでした。
なお、来年2023年の10/8には双葉町の産業交流センターで
創立百年記念式典が開催されるそうです。
その時にはここに「迎える近所の人」がいてほしいものです。
⑧双葉駅へ
双葉町は今年2022年の8/30 双葉郡8町のなかで最後に避難指示が解除された町です。
役場の新庁舎が駅の東側に移転、西側には町営の「えきにし住宅」が出来て
10月から入居が始まりました。この日もお引越しが行われていました。
駅の東側はアートで街を再生しようというフタバアートディストリクトというプロジェクトが行われ
伝承館のある中野地区にあるものとあわせ8つの壁画が彩られています。
下記の写真は消防の屯所だった建物
震災前に6900人が暮らしていた町に現在は約30人の方が住んでいます。
双葉町の伊澤町長は
「何年かかるかわからないけれど双葉高校が再開する事が
本当の双葉町の復興です」と語ったそうです。
地図を改めてみるとまだまだピンクの帰還困難区域です。
ここまで約4時間半かけてご案内いただきました。
個人的に心に残ったのは各地にできた
「特定復興再生拠点区域」
それは明らかに希望の星であると同時に
こうした拠点ができたのは集中的に除染した賜物なわけです。
まさしく、この地で除染された土壌を運びこんだのが
昨日みてきた中間貯蔵施設。
町の再生や新興のために重い決断をされた方々がいること
忘れてはならないのだと思います。
、、、バスは浪江町の昼食会場を経て、震災遺構の請戸小学校へ向かいます。