日別アーカイブ: 2015年12月26日

ビジネスセミナー「南部美人が世界のsakeとなるまでその広報戦略」~2015年11/26開催

「南部美人の社長の講演会をあさ開の蔵でやりたいんです!」

という唐突な申し出に「おもしろい!」と即決してくださった

㈱南部美人の久慈浩介社長と

「真樹さんらしい大胆なアイデアですね」と快諾してくださった

あさ開直営店、ステラモンテの岩井花店長のおかげで開催できたセミナーです。

月末のお忙しい時期にもかかわらず36名の方々にご参加いただきました。

久慈社長とは第1回目の「日本酒入門」の講師として

2011年11/28にお会いして、実際に会うのはこの時の打ち合わせ含めて4回目。

今回は、「南部美人が今や世界の26か国で飲まれるようになるまで」

その広報戦略をお話いただきました。

会の様子については先に書いたブログ記事があるので

そちらをあわせてみていただくこととして

http://ameblo.jp/novia-jyosi100/entry-12100462303.html

打ちあわせ時に伺ったお話もあわせて

ここでは「世界進出のための要点」をまとめてみたいと思います。

 

 

①最初から世界進出をめざしていた

検索していたら次のような記事を発見。

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20131124-00000001-wordleaf-nb&p=2

これにあるように

当初、久慈社長は家業を継ぐ気はなかったとのこと。

転機は高校時代の留学。ホームステイしたお宅で

「教師などだれでもなれるがジャパニーズワイナリーの跡継ぎはお前しか出来ない」

といわれてから。

そしてNYのエンパイヤーステートビルで夜景を見ながら世界進出を決意する。

そして1997年 海外進出を目指すいくつかの蔵元と「日本酒輸出協会」をたちあげる。

当時は、国税庁に「輸出=国賊」扱いされたそうだ。

逆風のなかでの海外進出、

追い風となったのは北米の健康志向と「和食ブーム」だそうだ。

※詳細はこちらのHPをご覧ください。

http://www.nanbubijin.co.jp/tsumikasane/challenge/

 

②取材されるような絵になる演出を必ず行う。

たとえば日本酒の樽をイベント会場に積み上げる

これでメディアの取材がくる。

そしてイベント参加者はその前で写真を撮り、SNSに投稿する。

今でも必ず南部美人と書いた法被をきてイベントには参加するそうで

自らを「広告塔」と言い切り、パフォーマンスに徹する。

とはいえ、パフォーマンスだけではなく、日本食レストランを地道に営業する、

という足で歩いた営業もしている。

実は北米進出時に尽力してくれたのは、岩手県人会の存在だそうだ。

県人会の他、盛岡一高出身の外交官や西欧でも岩手出身のレストランオーナーなど

さまざまな岩手県人の力を借りたらしい。

「“願わくば、われ、太平洋の橋とならん”といった新渡戸稲造精神が

岩手県人には流れてるんですね」

 

③郷に入っては郷に従え~異国だからこそ現地にあわせる部分はあわせる

ブログに書いたのだが、北米の高級和食店の日本酒ソムリエから

「1本20万の日本酒を納品せよ」といわれる。

が、そんなに髙い酒はない。
そのときはたまたま蔵に保管してあった20年前の酒を古酒として納品。

「日本酒はワインの感覚」という現地の感覚にあわせ、今ある資源で対応している。

また、「ナンブビジン」と発音できないアメリカ人に“Southern Beauty”

と直訳。しかしこれが受け入れられた。

日本の文化と伝統を異国にそのまま押しつけるのではなく、あわせる部分はあわせる。

この柔軟さこそ、世界へ出る際に必要なものなのだと思う。

 

④「飲んだときに笑顔あふれる太陽のような酒」を実践する広告塔

 アパホテルの社長、サッカーの中田英寿、武蔵丸親方・・・

久慈社長のフェイスブックを見ると、世界中から名立たるVIPが

岩手県二戸市におりたち、蔵を訪れている。

この人脈は、普通ならば名刺交換をしただけの出会いすら

濃く太い人脈に変える魅力を久慈社長が持っているのだと思う。

その秘訣はきっとこの笑顔だ。

自らを広告塔といいきる社長は「飲んだときに笑顔あふれる太陽のような酒」

そのものを常に実践しているのだと思う。

 

⑤最初にやる、そしてリスクもすべて受け入れる

震災後に「被災地のお酒を飲んでください」と訴えたYoutubeの動画は

多数のメディアで取り上げられた一方、批判もあったそうだ。

しかし「その道を歩きだしたんだから、堂々と胸をはっていい続ける」というぶれない信念がある。

NHKの「あさが来た」でいうところの「first penguin」=先頭に立ちリスクを取る人

なのだと思う。なお、講演ではふれられなかったが、せっかくリキュールで勝負したにもかかわらずの宗教上の壁に阻まれて泣く泣く徹底したこともあるそうだ。

 

 

そして

この11/26のビジネスセミナーの縁で、その後、すぐに

二戸市に久慈社長を訪問したグループがあり、こうして㈱のびあで企画したセミナーを通じて横に広がっているのも主催者として嬉しいことです。

「広報戦略」や「SNS」に限定して行っているビジネスセミナー、

来年も不定期で開始していきたいと思っています。

 

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大人のおけいこクラブ第25回報告~「マスキングテープ」 2015年10/25開催~

お題は「マスキングテープ」です。

といっても文房具としての使い方ではありません。

実は、弊社の協賛加盟店になっている

㈱タカヤさんが手がけるマンションリフォームの見学会に行ったとき

トイレ壁面に大きく描かれた絵をみてびっくりしたのでした。

 

聞けば「マスキングテープ」というではありませんか!

「はがせるので自由な発想で模様替えができるんです」という

インテリアとしての技を聞いてみました。

 

 教えていただいたのは㈱タカヤの若きインテリアコーディネーターの

福地美緒さん

 

なお、福地さんの他にも、㈱タカヤのライフデザイン室には
たくさんの女性インテリアコーディネーターが活躍中です。

こちらに詳しくありますのでご覧くださいませ。

https://www.facebook.com/reforco.takaya/?fref=ts

 

さて、数あるマスキングテープの使い方でびっくりしたのが

「30㎝幅のあるテープ」

さすがに30㎝となると業務用で壁紙メーカーで発売ということですが

一般用でも15㎝ぐらいならあるんですねー。

会場でも、30㎝幅のテープをそのまま柱に張り付けるという方法を

といりれておりましたが、この日、同行のお子様の子守に夢中で

写真をとりわすれるまたもや失態・・。

↑「子守担当に、保育士志望の次男も助っ人に」の図。

ええ、家内制工業で㈱のびあは営業しております。。

・・・というわけでせっかくショールームにあった技の数々がないので

一例としてこちらのネットを見てください。  

 http://matome.naver.jp/odai/2141532684044570201

 

こうしてみると、もはや用途は壁紙そのものだったりするわけですが

「水気を含みやすい場所や冬場の結露は

どうしてもはがれやすくなりますのでご注意ください」とのことです。

しかし、この「すぐはがせる」のもテープならでは。

季節に応じた大胆な絵柄も飽きたらはがせばいいわけで

お子さんと一緒に今流行のDIYなんかに最適。

 

会場では、オーナメントやステッカーを作りました。

(うう、写真がないのでネットからの拾い画像です。)

布地だと、重さがあるぶん、色の組み合わせをしないと

どうしてもチグハグな感じになりますが

テープの軽量感か、拘りなく作っても様になります。

 

「自撮り」に続いて無心になって作る参加者のみなさま

子守部はそこそこ疲れましたが、この「親子参加」といいながら

大人の方がが夢中になる物づくり

「無心になるシリーズ」として新たにシリーズ化してみようかな?と検討中です。

 

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陸前高田ベルコン見学ツアー~2015年9/5開催

9/5の「陸前高田ベルコンツアー」報告です。

県外参加者9名様を含む31名の方に参加していただきました。

このツアー開催のきっかけになったのはこちら

4/11に開催された「復興ドボクツアー」

http://ameblo.jp/novia-jyosi100/entry-12014304046.html

県外に住む「重機・工事現場・廃道」のマニアの方々のツアーです。

これまで 

  
 被災地へ人は呼びたい
   ↓
 でもいつまでも、ボランティアツアーでは人は来てくれない。

   ↓

 久慈には「あまちゃん」ファンが毎年通ってくれる

   ↓
  今の陸前高田はなんだ? 何がウリなんだ_?

 
 
そこで経験したマニアと呼ばれる方々のツアー

ほんとにマニアックなツアーではあったけれど

「そうか、このテがあったか!」と

私にこれまでの観光のあり方を大きく180度転換させてくれました。

さて、ツアーの概要については最初にこのツアーに申し込みしてくださったAさんが

詳細にブログに書いてくださいました。

http://blog.goo.ne.jp/lotus045/e/cdcaa8029a595d3021fab531a258695f

 

 

実は開催数日前に

今回お世話になった陸前高田まるごと協議会さんから

「定期点検の日が実は急きょこの日になってベルコン動かないんです」との連絡が入りました。

「ええーー!ベルコン動く最後の土日ということでこの日にしたのに」と思いながら

バスのなかでその旨、お客様に謝罪をしてきたのですが

キセキはおこる・・・。

なんと、「点検が午前中で終わったので」ということで

私たちが三鉄南リアス線をのり継いで陸前高田へ入った昼から

工事を再開させてくれたのでした。

やった!

 

現地でガイドのカワハラさんと合流し、広田半島へ。

カワハラさん、真鍋かおり似のスレンダー美人の方ですが

被災者で、避難所暮らしも経験されています。

そのカワハラさんの案内で、広田半島のとある民家で昼食。

震災の日、広田半島へ渡る道路が寸断され、「陸の孤島」といわれた広田地区。

しかし、ラジオは聞こえていたといい、「生きてるぞ~」と皆で話したとか。

また、浜が忙しくなると買い物にも行けなくなるので

「ちょうど買いだめをする時期だった」とのことで、

「どの家にも比較的食料があった。不幸中の幸いだった」といいます。

気仙大工の技がつまったこのお宅でそんな話を聞きつつ

おばあちゃん、お母さんが準備してくれたお昼をご馳走になります。

そして記念撮影

そして一行は陸前高田市内へ戻り

この巨大工事の司令塔である現場事務所へ。

今回のツアーでどうしても見てほしかったのが「震災前の陸前高田の映像」です。

震災後にはじめてこの街を訪れた方々は、

「最初から巨大な造成地がたつような空地だったのでは」と思いがち。

でもここに駅があり、学校があり、商店があり、

人々はあの瞬間まで普通に暮らしていたんだ・・ということを見てほしかったのです。

そこで、現地ガイドの方にお願いして映像を集めて座学をしていただきました。

 

座学後、工事事務所のま向かい、ベルトコンベアーの出発点へ。

すぐ裏の120Mあった山を45Mまで切り崩し、破砕し、

土砂を全長3キロに渡るベルコンが市街地へ運びます。

 

3キロ先には100台近くの重機、

こちらは米沢商会さんの事務所、

この屋上で米沢社長はたった一人、救助を待ちました。

その米沢商会さんのビルの裏手には新たな市の中心部を建設中。

工事現場にも特別に入れていただきました。

記念撮影したこの地にはショッピングセンターがたつ予定だそうで

工事は2016年から始まります。

最後に一行は、タピック45へ

このいちばんてっぺんでは

3人の方が救助を待ちながら一夜あかしました。
どんな想いでその長い長い夜を過ごしたのか・・・・

 

こちらは今回のツアー参加者で最年長のおばあちゃん。

2012年に行った第1回目の復興応援バスツアーにも参加していただきました。
お元気でこうしてまたお会いできたことが嬉しかったです。

 

今回のツアーに参加してくださった方々は

・岩手が好きになった方

・岩手内陸部へ住む方

・重機マニアの方々

・自らも被災され、仮設へ住む方

といらっしゃいます。

実は、前回、訪問したとき、工事現場の方々は

「本当は現地の方にも見ていただいて

将来ここがどんな街になる予定なのか見てほしい」といってました。

ご本人に感想を聞くことは出来ませんでしたが、そういう意味では

少しでもお役にたてたかと思っています。

 

そして重機好きの方々も100年に一度の大工事の様子をカメラに収めつつ

「震災前は陸前高田という名前すら知らなかった。

けれどこの街の行く末をまた見届けたい」と言ってくださいました。

来年あたりからは少しずつ、宅地も分譲予定とか

次回はまた違う景色の陸前高田を見るツアーを開催したいと思います。

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