月別アーカイブ: 8月 2011

8/20~21「ウィズ盛岡41年間の 大感謝祭」の企画・運営を行いました! 

盛岡バスセンター前のウィズ盛岡ビルです。41年間の歴史に幕を閉じ、9月に解体することになりました。

そこで、8/20~21の2日間、41年ありがとうの大感謝祭を開催、その企画と運営を㈱のびあがお手伝いさせていただきました。

感謝祭のテーマは2つ。

①最盛期の賑いを再現する。 ②メモリアル

盛岡で暮らす人にとっては、昭和のひとつの景色。大勢の市民で見送る2日間にしたいと思いました。

イベントのお話の前にこのビルの歴史をちょっとお話しましょう。(詳しくなったもんで・・)

1969年「光ビルジュネス」のころ

1969年(昭和44年)6月 「光フェアビルジュネス」オープン

岩手県初のボーリング場と最先端ファッションを中心としたテナントビルとして盛岡バスセンター前にオープン。

1973年(昭和48年)7/11 「盛岡光ビルレインボープラザ」としてオープン。いわゆるエンドーチェーンです。

1991年(平成3年) エンド-撤退。

1992年(平成4年) ウィズ盛岡としてオープン。古着小売店ファクトリー盛岡(現ハンジロー)オープン。

2011年 8/28をもって営業終了



【 ウィズビル41年想い出アンケートを2日間実施しました 】

ビルにまつわる想い出を10項目用意して、(ボーリング場・不二家のレストラン・屋上遊園地・バスセンターからの地下道・エンドー森の仲間たち・サテライトスタジオ・世界の恐竜展など催事・ハンジロー・

パチンコ公楽・ゲームセンター)「あなたの想い出ベスト3」を選んでもらいました。

アラフォー以上の第1位に選ばれたのが エンドー時代のサテライトスタジオです!

エンドーっていったらサテスタでしょうの世代

通称サテスタといって、あの伝説のラジオ番組「IBCラジオトップ40」などが公開生放送されておりました。




なんとデビューしたての山口百恵さんも来て歌ったそうで・・。

イルカに乗った少年の城みちる、伊藤咲子、片平なぎさ、小坂明子・木内みどりなどなど。

ピンクレディーも来たらしい。

ここで「芸能人を初めて見ました!」という岩手県人は多かったですよね。

10代~30代前半はハンジロー


そして30代前半ぐらいを境にして、そこから下世代は「ハンジロー」なんですね。

場所がら、転勤族の回答も多く、「転勤してきたらハンジローあってここが第1号店と聞いてびっくりしました」

いまや全国区のハンジロー。

ちなみにハンジローという名前は41年前に光ビルを設立した社長の名前なんですよ。



たくさんの方がアンケートを書いて下さったなかで、こちらの親子のパパさんがお話してくれました。


この男の子がまた可愛いのだ

「光ビルがオープンした時だと思うんですけど、プロボーラーの中山律子さんが来て、親父につれてってもらい見に行ったんです。

その頃はボーリングブームですから中山律子さんなんて芸能人と同じ扱いですよ。すごい人だかりでね~。中山律子が全然見えなくて、そしたら親父がね、ひょいと肩車してくれたんです。

ちょうど僕がこの子ぐらいの年だったのかなあ・・・」

いい話でしょう?



 

【 ウィズビル41年前の写真展!! 】

そして今回、好評だったのがこちらのメモリアル企画。41年前の写真展です。

左右の下に展示しているのが、エンドー開店の新聞一面広告








 

 

 

【 メモリアルトークショー開催、“ファッションと娯楽の発信地だった”】

21日の13時~14時まで、3名のゲストをお招きしてトークショーを開催いたしました。

ステージ右から、「肴町で創業60年!」の有限会社アカシヤの浦邊信賢社長、岩手放送アナウンサーの照井 健アナウンサー、岩手県商工会連合会事務局の熊谷敏裕次長です。

ゲストの3人の方々ありがとうございました。

浦邊社長からは、ジュネス時代~エンドーオープンまでのお話を主にいただき、「店員さんが洋服のコーディネートをしてくれる、今ではあたり前かもしれませんが、当時は斬新でした」

照井アナは入社して3回、エンドーミュージックショーウィンドーの担当をしたそうで、

「新人アナにとっては鍛えられる場所でした」

そして熊谷次長は、おそらく今でいうオタク?山口百恵のサイン入りレコード、当時の写真、記念品などたくさんのお宝を見せていただきました。

あのトークショーで、一気に記憶のスイッチが入ったというのでしょうか、会場も盛り上がりました。

後日、弊社にこのようなメールが

「それぞれのゲストの方々が、各自スピーチが、グッズが素晴らしいものでした。もっとたくさんの方々にお見せしたかった。もったいない内容でした」

「私はハンジローしか知りませんが、母が横で懐かしいといって、ゲストの発言に聞き入っていました」

 

【 最盛期の賑わいを!56区画の出店に来場者1500人!!】

今回、屋内44区画、屋外12区画の出店がありました。

内容もフリマから、美容、食品、産直、占いとさまざまでした。

 

 

プチハンズさんのアクセサリー教室。巾着を被災地へ送る活動もしています。


ネパールクラフトのサンギタ横田さん。普段はアネックスカワトクで営業中。








バルーンアートの小泉さんです。

産直ミヤザワさんは奥州市から








KAGUYAさんふわふあのシフォンケーキ

マクロビ料理のカラコマ工房さん。

















エンドーオープン時は、午前中だけで15000人が来場されたとか、ケタは違いますが、フリマを楽しむ顔、ビルを懐かしむ顔 、いろいろでした。

トークショーの最後にゲストスピーカーの浦邊社長がまとめてくださったのですが

「ここは文化の発信地だった。多くの人の思い出と記憶が詰まった場所。ひとつの時代の終わりは淋しいけれど、新たな時代の始まりになるような河南地区再開発を期待しましょう」

感謝祭に携わってくださった方々、来て下さった方々、本当にありがとうございました。


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