日別アーカイブ: 2024年6月29日

オットと駆け抜けた1年〜オットとの絆深まるの巻

お久しぶりの投稿です。

たぶん 皆様もご存知かもしれませんが

我が愛する愛犬 パピヨンナイトが6月12日に16歳20日で永眠いたしました。

まだまだ インスタの過去投稿を見るたびに 泣いてしまう飼い主です。

インスタで 投稿しています。

ナイトの投稿

亡くなる前の方が ずっと泣いていました。
亡くなった時も 泣きましたが、「楽になったんだろうな」の思いが強く、思っていた以上に平気でした。

しかしながら、いろんな思いは後から後から出てくるものですね。

 

ナイトの闘病生活10ヶ月 いや、もともと 弱かったので
動物病院に行かない月は あったのかと思うくらい 何かしら体調不良の子でした。

でも この10ヶ月 ほとんど毎日 点滴通院をしていました。
悩みながら 不安になりながらの通院。

待ち時間が苦痛だったので 毎朝朝6時半か7時に病院の前で受付待機
8時に先生が出て来て受付して ナイトを迎えに行くルーティン。
病院が休みの日でも 裏から入って点滴をする。 そんな毎日。

 

朝は4時半起床で 夫が元々早起きで 掃除洗濯をしてくれているので
ほんとに助かってました。

 

私も朝食 お弁当 他の掃除などをして 早々と食べて
夫が洗い物をしている姿を見ながら 病院へ。

 

毎日毎日
「ごめんね」と言って 出掛けてました。

8時の受付が終わってきたら 夫は会社に出勤。。そんな毎日でした。

毎日毎日 「行って来ます、ごめんね」と夫に話すのが癖となりました。夫は「気にしないで気をつけて」と言ってくれてましたね。

 

車で1時間から1時間半座りっぱなし、病院でも1時間は抱っこしての座りっぱなしの毎日で 結構 体に負担がかかってました。。

でも ナイトが元気な時は そんな疲れも吹っ飛んでましたし、ご飯が食べない食べるでメソメソしていたり。食べれるようなフードを探してのお店周りを夫も 協力して探し回っていて、結果 ほとんど全滅の時もあり 二人で 「何が食べたいのだろう」と 弱っていく姿をみて 落ち込んでいました。

 

ナイトのために ソファーを買ったんです。
もう1匹の愛犬が 結構活発で 年が離れているので
寝ているナイトを起こしにいくのでゆっくり休めないと思い。
高いところが苦手だったぷりん(もう1匹)から逃すためのソファです。

ナイトと私専用のソファーとなりました。

足腰が弱くなって来たので 夫は
いつのまにか 階段のようなものを作ってあげてました。

最初は一段
もっと足腰が弱ってくると もう一段。そのうちに 上がれなくなり
抱っこでソファーで寝かせ 私がいない時は ソファーに上げないようにしていました。

 

ご飯を食べるときに 首が負担にならないようにと 台を作ってあげたり
ご飯が食べなくなった時は 4つのお皿がおける台を作ったりとナイトのためにDIYを頑張ってました。。

最後の1ヶ月は 本当に食べれなくなってしまい
私自身 毎日毎日泣いていたようなきがします。

ナイトの耳元に
「一緒に 誕生日迎えようよ」と毎日毎日囁いていました。

なぜか ヤンキーなナイトなのに
耳元で 囁くと じっと聞いてくれて なんと 私の口元に お顔をくっつけてくれていたんです。そんなナイトが愛おしくて 毎日何回も 耳元でお話しするようになりました。どんどん弱って 食べれなくなっても お話は聞いてくれていたんです。(書きながらも 泣いてしまう)

毎日毎日愛おしてくて
一時も離れたくない気持ちでいました。

そのうちに 私も目眩がなん度も起きるようになり
夫が 仕事を休んでくれたり または 病院に行ってから 会社に出勤してくれました。

すると 夫も ナイトへの愛着がひとしおで
家でも抱っこする時間が多くなりました。

また 寝ている時間が多いのですが
おしっこだけは 自分でしたいと言う気持ちがあって

夫も気がつくと 外に行っておしっこさせてくれていました。

この動画を見るたび うるうる

また 最後の方は 毎日一緒に病院に連れて行ってくれました。

無意識にナイトの足をマッサージをしていたんですね。

夫も 密かに できることをしてあげようと思っていたようです。
ほとんど口にしなくなってからは
夜中に 3度ほど 水分や 溶かしたサプリメントを シリンジ(注射器)でこまめに補給していました。

その時も 夫は電気をつけてくれて 夜中だから消していいと言うのに
毎日 電気をつけてくれてました。

私だけでなく 夫も寝不足のまま 仕事に出掛けていましたが
不思議に 亡くなる1週間は 仕事がなかったのです。

ずっと 一緒にナイトの病院に通い
亡くなる前日は もう点滴やめてもいいよねと話しておやすみをして寝かせていました。

まさか翌日に亡くなってしまうとは思ってもいなかったのです。
近いことは知っていましたが。。

朝の4時に 息を引き取った時も
夫と一緒に 見送ることができました。

夫も 悲しさを抑えることはせず
ずっと撫でていました。

夫は「ナイトは 本当によく頑張った。あの骨が浮き彫りになっても
生きようとしてたな」と今でも 「ナイトはよく頑張ったな」と思い出したように話します。

夫も 昨年のほとんど動けなくなった時には もうダメだと思っていたし

病院の医師も看護師さんもそう思っていて 「奇跡だね」と話していて
私も 一緒に16歳の誕生日を迎えようと囁いて

本当に 一緒に誕生日を迎えることができました。

その後から どんどん弱っていって ほんとの介護生活にはいったのですが
もうもう 骨だらけになってしまって。。

夫と「もう楽になっていいんだよ」って声をかけてました。
夫も最後の1週間は 献身的に 介護をしてくれて

うたた寝している 私に毛布をかけてくれたりと
私にも献身的に気を遣ってくれてました。

もともと優しい夫ですが
輪をかけたように 優しくなりました(笑)

ふと子育て時代も 不器用ながらも 献身的に協力してくれたと思い出しました。

息子も体が弱かったので 夜中の救急には なん度も連れていってくれてました。
と 振り返り 夫は家族思いの人なんだと改めて感謝の気持ちでした。

亡くなってから
「お母さんの献身的な介護と アロマで生き延びたね」とも話してくれていて
見てくれていたんだなと嬉しく思いました。

月20万以上の通院費 8ヶ月

本当に 嫌な顔せず 出してくれた夫に感謝で
お金がないとか お金がかかるとかも言わず
本当に 感謝しかありません。。

夫を頼もしく思わせたきっかけナイトに感謝ですね。

今でも ナイトは 私たちのそばにいます。
そして 夫婦でいまだに夜中に何度も目が覚めます。
介護の時間に目が覚めてるのが まだ続いていますが
いつかなれると思います。。早いと3時に起きてしまうことも。。

これからは また普通と変わらない生活に戻っています。

ただ、毎日検診にいきなさいとか人間ドックに行ってほしいとか
なぜか 私の健康も気になっているようです。。
これは ナイトの死にも関係あるのかな。。

今年は 夫婦の体調管理を きっちりしていかなければいけないです。

あと忘れてはいけない
もう1匹のぷりんも大切に育てていきます。

 

長くなってしまいましたが
ナイトの闘病生活が 夫婦も絆を深めてくれたの巻でした

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