39年前の結婚式の写真
実はどこにいったか見つからない(汗)
唯一、見つけたのが一枚。。きっとダンボールに入れてどこかにあるんだろうな〜。
もう見ることもないと思うのだけど、、
4月8日は入籍だけ済ませたんです。結婚式は25日なのですが
亡き母が、とても良い日だからと、無理やり入籍だけさせられた←られた(笑)
でも、そのおかげか
きっと長く続かないだろうなと思いながら39年という不思議な年月が経ちました。
何度も書きますが、私たちお見合いのようなものです。
若い時の私は「激しい恋愛をして結婚」
そんな淡い夢を描いていましたが、淡い夢でした。
父が亡くなって2年目。
その頃の私は、生きていたのですが
なんとなく抜け殻のような、今振り返っても思い出がないような
チョーネガティブな生活を送っていました。
父が亡くなって
家もない母と私を救ってくれたのが
父の会社の方々。
同じように生きているかわからないようないい加減な生活をしていた私を見かねたのか
またまた父の会社の方が助けるように オットと出会わせてくれたのでした。
誰に聞いても「真面目、お金の管理がしっかりしている」という。
めちゃめちゃ苦手なタイプで
「無理です」と聞かぬふり。。
強硬手段として 父の会社の方が
無理やり私とオットを会わせたのでした。。
ところが、意外や意外。。
素のままの自分でいられた。
そこから、あっという間の結婚。。一年たってないかも。。。
そして、すぐ妊娠。← ここもまた長男の時も切迫流産で入院
そのあとも主人、息子のおたふく
私のおたふくで、入院、赤ちゃんと死別
そこから、夫婦二人は娘が生まれるまで
壮絶な生活をしていたような気がします。
そこにプラスして私と母の
またまた 壮絶な険悪な雰囲気。
オットは
本当に大変だったよな〜と感じています。
世の男性は、帰りたくなくて
飲んで、できるだけ遅く帰るというのに
夫は定刻に帰ってきていました。
聞いてみると
「俺には、後帰る家はないからさ」と
あるはず、実家があったじゃん。。
と思うのだけど
中学卒業後、働きながら高校を出たオット
その後、16歳から働いてきた。
またオットの実家でも
兄弟は早くに出稼ぎで オットはひとり。
両親も帰りが遅いから
かなり寂しい思いをしていたらしい。
あまのじゃくな人だけど
人のことは言えないなと。
私自身もまた、かなりのわがまま
オットの夢でもある
料理上手、お掃除上手には
とうとうなれなかったけど
その分オットが才能を開花させるきっかけにした(笑)
今では お掃除、洗濯はお手の物。。
そんな感じの凸凹の夫婦も
まさかの39年も続くとは。。
〜と、オットに話すと
「ふ〜ん39年も続いたねって、未来はないんだ」と
また天邪鬼の顔がでた。。。
その天邪鬼にも、扱いが慣れたので
笑って済ませるようになりました。
ふと以前
「どうして私と結婚したの?」と聞いたら
「俺が話さなくても、一人で喋って、一人で笑っているから、助かる。
話が苦手だから、何を話していいのかわからないから」
しかし、今では、私以上に話しているような気がするな。。
それだけ、私が言葉を教えたのかもしれない(笑)
と勝手に思っています。
またまた ふと
私たち夫婦は ほとんど喧嘩しないと
今更ながら気がつきました。。
若い頃は大喧嘩と言うと
オットの「勝手にしろ」の言葉が嫌で
もう私の方からの喧嘩はしなくなったのが良かったのかもしれない。
最後にインスタにあげた
感謝の気持ちを書いて
結婚記念日をお祝いということでおしまい。。
追伸 このように好きなようにお仕事させていただいています。。
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